それってホントに欲しいもの?

私の考えたこと

この記事では、私の消費に対する考え方を書きました。以下の考えが根底にはあります。よろしければ皆さんの意見をコメントやTwitterで教えていただければと思います。

  • 買い物=その商品への応援
  • 「欲しい」と思わされていないか
  • 足るを知る

現代は情報化社会

近年は情報化社会といわれ、私たちは日々色んな情報に触れます。
特に広告は毎日目にし、至る所で私たちの物欲を刺激してきます。私のブログ内にもGoogle AdSenseの広告を貼らせていただいております。そんな広告や「モノ」についての私の考えを少し書いていこうと思います。

なぜ広告を打つ?

そもそもなぜこんなにも多くの広告が打たれているのでしょうか。下記2点を踏まえて、顧客に「ほしい!」と思ってもらい商品を売って利益を出すことが目的だと私は思います。

1. 知らないと選択肢に入らない

自分自身もよく経験がありますが、自分がしっかり理解できていなかったり、特に商品に対してこだわりがないときはよく知った大企業の名前が入った商品を買いがちです。あまり名前を知らない会社の商品はなんとなく避けてしまいます。そういった機会損失を減らす為に広告が打たれると私は考えます。当ブログも広告という名目ではありませんが、Twitterでブログの更新を連絡したりすることでみなさんにこのブログを知ってもらえるように努めています。

2. 新しいものは嫌煙されがち

私たちは新しいものを取り入れるのが苦手です。基本的には同じことを繰り返し、慣れ親しんだモノを使おうとします。そのためこちらからお勧めしたいモノが新しいモノである場合、素晴らしいものだとしっかり伝えていく事が重要になると考えます。

欲しいと思わされていないか?

基本的に商品は売れば売るほど利益が出ます。そのため顧客に価値を提供する為に改善してよりよい商品を販売しようとします。そしてこの商品を売る為に広告を打ちます。
例えば、インスタで洋服の広告を見かけたとしましょう。その洋服はトレンドを押さえていてとても魅力的です。それを見た私はその商品が欲しくなりました。さて、このとき私は自分でこの商品が欲しいと思ったのでしょうか?

考えられる状態は2つあります。

1. 新しい服が必要だった

元々今持っている服にときめきを感じていなかったり、ボロボロだったりして新しい洋服が必要だった場合です。そんな時に洋服の広告を見ればバッチリ需要と供給が噛み合っています。もしこの広告を見なくても、どこかで洋服を買っていたことでしょう。

2. 洋服があるのに欲しくなってしまった

もう1つは広告を見たことによって既に十分綺麗な洋服があるのに欲しくなってしまった場合です。別の洋服に浮気しちゃったわけです笑。このときは需要が捻出されたのではないかと私は考えます。この広告を見なければ洋服を新たに買うことはなかったのですから。広告によって「ほしいと思わされた」のです。

SDGsが叫ばれているように、現在は環境への配慮がトレンドとなっています。環境負荷を減らすために消費者にできることは無駄に多くのモノを買わず、必要なモノを必要なだけ持つことが大切だと思います。その第一歩として欲しいと思わされることが少なくなるといいなと思います。

足るを知る

では欲しいと思わされないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。私は小見出しにもしている「足るを知る」ことが大切だと思います。足るを知るとはどういうことかと言うと、「既に十分満足であることを知っている」ということです。自分が持っているモノが十分なモノであると分かっていれば欲しいと思わされることもないわけです。
上を見るとキリがありません。何事にも上というものがあります。だって頂点はひとつしかないのだから。だから自分が何を大切にしたいと思っていてるのかを理解することが大切だと思います。そうすれば自分が本当に大切だと思えるモノにお金が使え、とても気持ちがいい毎日が送れると思います。

(おまけ)品質の良い商品を高い値段で買うこと

またこの考え方は経済的にもプラスになるのではないかと考えています。日本はずっとデフレに悩まされています。商品の値段が上がらず給料も上がりません。最近値上がりしてきていますが、原材料の高騰などが原因で、経済が活性化したことによる値上げではありません。安くていい商品を作って売ることはとても素晴らしいことです。家計は大いに助かります。しかし本当に素晴らしい技術が使われて価格競争が難しい商品もあると思います。そうした商品にも応援という意味も込めてお金を使っていけるような社会になるといいなと思っています。

皆さんが自分の足るを知り、自分の意思で商品を選んでいけるといいなと私は思います。

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